自称 素人サイコパス研究家による あれこれ

個人的に知っているサイコパスの備忘録として、世のサイコパス対策の参考になれば幸いです

サイコパスは、相手によって遅刻する時間が違う

私が個人的に知っている社会的成功者であるサイコパスは、時間の有限性を常に意識しているので、「自分の時間」を他人によって1秒たりとも無駄にされるのが大嫌い。

その一方で、「他人の時間」を無駄にすることについては一向にお構いなし、無頓着。

なので、ものすごい遅刻魔。

時間の貴重さを誰よりも意識しているのにもかかわらず。

ものすごくチグハグだ。

 

正確に言うと、「全ての他人」の時間に配慮しない、というワケではない。

会う相手によって遅刻する時間が異なり、相手の時間を敬う時もある。

それは、時と場合によって、というより、「相手が誰か」によって。

損得勘定という価値観で生きていて、圧倒的に合理的な考え方をするサイコパスならではのルールとも言える。

 

遅刻する時間の大小によって、その人にどれだけ価値を置いているかが分かるので、ある意味、こちらとしては仕事をする上で参考になる。

VIP対応をすべき相手、そこまで気を遣わなくても良い相手というのを、周囲の人間としては瞬時に理解し、心得ることができるので、その点では、ある意味、やり易い。

 

なお、仕事上、必要不可欠な相手との約束は絶対遅刻しない。

もしもギリギリになったら、走って約束の場所に現れる。(約束の場所の直前で走り、相手に走ってきたというのを見せる)

ちなみに、彼の遅刻は1時間、2時間は当たり前なので(もちろん仕事のミーティングとか)、約束の時間に現れる、というのはすごいこと。

 

相手によってはドタキャンも全然よくある。

取引先を2,3時間待たせた挙句、キャンセルということもあった。

(もちろん待っている間、本人の携帯に何回も連絡するのだが、応答しないので、部下としては、事故などにあっていないか、家族に電話したり、一応色々なところに電話をしてみたりする。滞在先の建物の防犯カメラを確認してもらえるようお願いしてみたり。そんなバタバタの結果、最終的には取引先に平謝りしたのは、もちろん私。。。)

 

サイコパスとの電話中に、サイコパスが考える時間、沈黙が延々続き、こちらを待たせることはよくあるのに、こちらがちょっと(2,3秒)考え始めると、あとでかけ直して、とリクエストしてくるので、いつからか、こちらから、そういう場面になりそうになると、かけ直します、と自ら言うようになった。

 

圧倒的な損得勘定という価値観で生きているサイコパスがゆえ、利用価値のある人間のランク(レベル)によって遅刻する時間が変わるというのも、考えてみれば、なんともサイコパスらしい。

 

ポリシーが絶対にブレない、という点では、サイコパスを見習いたい。

私はブレブレなので。

 

サイコパスの最期

サイコパスは、社会的成功者になるか、犯罪者になるか、どちらかのパターンになるケースが多いように思います。

ふり幅がこれだけあるのはサイコパスの特徴ゆえ、サイコパスならではという感じがします。

 

角田美代子

三浦和義

という名前を聞いたことがあるでしょうか。

 

角田美代子容疑者は、2012年(平成24年)10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人・死体遺棄事件の主犯格とみられていた人物。

かなりショッキングな事件だったので、記憶に残っている人も多いと思います。

 

三浦和義は1980年代、ロス疑惑の容疑者として有名になった人物で、

それから数十年後の2003年、万引きで逮捕された人物。

 

2人とも共通して、言葉巧みで、人心を掴むのが上手な上、2人ともそれぞれ成人になる前から、良心や道徳心、倫理観の欠如が原因とみられるエピソードがいくつもあります。(Wikipediaなどご参照ください)

2人ともサイコパスであった可能性が高いのではないかと個人的には思っています。

 

そして、二人に共通しているのは、二人とも拘留中、留置所で自殺しているということです。

 

サイコパスの最期が自死となるケースが結構あると私は思っています。

えげつない犯罪の容疑者が、拘留中に自死するというのは、本来、あってはならないことですが、決して珍しいことではなく、ちょいちょいあります。

監視される毎日で実行するというのは、相当計画的であり、目的を果たす実行力がすごいと思います。表現が不適切かもしれませんが。

 

サイコパスが己の進退について、もう万事休すと悟った時、自ら死を選ぶというのは、合理的な考え方をするサイコパスならではの最期という感じがしますし、

負けず嫌いで、勝つことに異常にこだわるようなところが私が個人的に知っているサイコパスにはあるのですが、おそらく多くのサイコパスもそうではないかと思っていて、そういう意味では、ある意味、変な話、勝ち抜けるという最期とも言い換えることができるのではないかと思うのです。

 

最近では、「鳥取連続不審死事件」の犯人である上田美由紀死刑囚が食べ物をのどに詰まらせて亡くなったというのがありましたが、自死であった可能性が高いのではないかと思っています。

 

ヒットラーサイコパスだったのではないかと私は推測しているのですが、彼の最期も確か自死

そういえば、太宰治自死です。

 

決して自死した人=サイコパスと言っているわけではありません。もちろん。

自死する理由は人さまざまです。

変な話、統計的に言うと、うつ病が原因であるのが一番多いのではないでしょうか。

うつ病はまじめな人ほどなりやすいと言われていたと思います。

(余談ですが、鬱については、状況がそろえば誰だって鬱になると思いますし、私も過去、仕事が毎日忙しくて、心身ともに消耗し、疲れ果てていて、泥のように眠りたい、眠った方が良いと思っているのに眠れず、仕事のメールを打ちながら涙が垂れる、家で皿を洗いながら涙が垂れる、という時期がありましたが、あの時は心療内科に行ったら、たぶん鬱と診断されたのではないかと思っています。忙しすぎて病院にいく時間もなかったので、当時の自分の状態から想像するしかできませんが)

 

今、個人的に気になっているのは、劇薬が原因とみられる死亡事件ですが、もしも有罪の証拠を積み上げることができて、容疑者を拘留できた場合、監視する側は、監視体制は念には念を入れて監視した方が良いだろうと思います。

 

注意)あくまでも、私が個人的に知っているサイコパスの特徴を持つ人をもとにした、素人サイコパス研究家の見解です。ご参考程度にしていただければ幸いです。

 

三浦瑠璃夫妻の愛猫トラブルの記事で私が思い出した人。。。

三浦瑠璃夫妻の愛猫にまつわるささやかな?!トラブルについて書かれたこの記事↓ を読みながら、私は自分が個人的に知っているサイコパスのことを思い浮かべていました。

 

ついに逮捕!「警察じゃないから無視して大丈夫」と…三浦瑠麗夫妻が起こしていた「2つのトラブル」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

 

三浦瑠璃の夫、清志氏のオフィスが入るビルの管理会社から『建物内で生き物の持ちこみや飼育は禁止されている』と彼らが注意を受けたことについて、夫の清志氏が、

 

「基本、無視すればいい。だけど、またなにか言ってきたら『社員だ』『広告塔だ』って説明する。それでもまだなにか言ってくるなら、俺はやつらと全面的に闘うよ」

 

と主張していた、とかいう記事。

 

清志氏の主張は、おそらくこういうことだろうとその記事には書かれている。

三浦夫妻が生き物禁止のビルに持ち込んでいる彼らの愛猫は、瑠麗氏が代表を務めるシンクタンクで、トライベイのオフィスと同住所にある山猫総合研究所のシンボル、「広告塔」であり、「社員」であるため、ペット禁止のルールはあてはまらない、という主張だろうと。

 

屁理屈のような主張だが、この思考回路がまさに私が個人的に知っている社会的成功者であるサイコパスと全く同じ思考回路だったので、ビックリ。

 

私が個人的に知っている社会的成功者であるサイコパスは、

自分の欲求、要求を通すため、目的を果たすため、だれもが納得するような合理的な理由を繰り出します。

もっと言うと、耳障りの良い、多くの人々の賛同を得られそうな理にかなっているように聞こえる理屈をプレゼンすることによって物事を押し通そうとするのです。

平和的にだったり、

民主的にだったり。

自分のイメージを良くするエピソードになりそうな内容で繰り出してくることも多々あります。

 

上記の記事にある清志氏の言葉とされる主張は、

特段、耳障りが良いわけでもないし、多くの人々の賛同を得られそうな、理にかなっているように聞こえる理屈にはなってはいないと思います。

だって、社員であろうと、なんにせよ彼らの愛猫は「生物学的に人間ではない生きもの」であることに変わりないワケで、理屈としては弱いですから。

いずれにせよ、そこのビルには生き物持ち込みNGのルールがあるんだから、生きもの持ち込みOKの他のビルにあなた達は自分のオフィスを置きなないよ、猫ちゃんと一緒に、という話になるわけで。

 

では、なぜ、私はこの記事を読んだ時、私の頭の中に私の知人を思い浮かべたのか。

おそらく、今回の記事に書いてある考え方、思考回路と、強引さが、私の知人を連想させたからかもしれません。

 

私が個人的に知っている社会的に成功しているサイコパスは、ルールを軽視する傾向があります。

たとえば、今回の例で言うと、生き物禁止、というルールがあったとしても、契約を結んでしまって転居し、後でとがめられたら、知らなかった!などと言い、どうにか大目に見てもらえないか、という方向に持っていき、強引なやり方でその目的を達成するでしょう。

具体的には、管理会社を飛び越えて、そのビルを所有しているトップ(こちらも社会的成功者)と仲良くなり、トップの了承を得て、晴れて例外を認めてもらう、という感じのやり方をすると思います。

こちらの方法の方が合理的で確実に要求を通せるでしょう。

上記のような記事を書かれてしまうことも無かったでしょうに。

 

ちなみに。

どうやってビルを所有しているトップと仲良くなるかと言うと、全く面識がない相手でも、自分の知人(もちろん社会的成功者)を一人挟んでその人を紹介してもらうことによって、仲良くなることができます。

社会的成功者は合理的な考え方の人が多く、無駄な人脈、無駄な人間関係を築くということに自分の貴重な時間を使わない傾向があるため、結果、知人・友人は社会的成功者ばかりという傾向があります。つまり、そっち方面に強い社会的成功者である知人をたった一人挟むだけで、たいがいお目当ての社会的成功者にたどり着ける、というワケです。

 

頭が良い人達は、自分の欲求や要求を通すため、目的を果たすため、だれもが納得するような合理的な理由を繰り出すのが本当に得意。

耳障りの良い、多くの人々の賛同を得られそうな理にかなっているように聞こえる理屈をプレゼンすることが本当に得意です。

言葉の魔術師であることは、もう必須です。

 

果たして、この記事にある通り、清志氏がこのような言葉を実際に言ったのかどうか定かではありません。

でも、もし言っていたとしたなら、とても興味深いことだと個人的には思っています。

 

ちなみに、三浦夫妻の最終学歴と、私が個人的に知っている社会的に成功しているサイコパスは同じ大学出身です。

 

そういえば、先日亡くなられた、幸福の科学大川隆法氏も同じ大学出身でしたね。

 

こういうの、偶然の一致って言うんでしょーね。。

 

 

サイコパスのシンパシーのスイッチ

良心に欠け、残酷なことができるサイコパスは、相手の立場をおもんばかったり、かわいそうと思ったりすることのない、共感力が皆無の、感情も極めて希薄な人間だと思っている人が多いだろうと思う。

 

が、私が個人的に知っているサイコパスは、喜怒哀楽の感情が豊か。

むしろ普通の人よりも。

彼を見ていると、サイコパスには、相手の立場になったりするシンパシーのスイッチのオンとオフがあって、そのスイッチがオンになるか、オフられるかによって、冷酷なこともできるように見える。

 

オン、オフは、相手によって変わる。

自分にとって価値がある相手、自分が気に入っている相手、ひいきにしている相手だったり(もちろん自分の血を受け継いだ子供も含まれる)、自分に利益をもたらしてくれる相手の場合は、オン。

自分にとって価値のない相手、自分になんの利益ももたらさない相手だと、オフ。

全くオフっている相手だど、どこまでも残酷なことができる。

合理的、効率的なことが大好きなサイコパスならではのスイッチの入り方という感じがする。

 

心理操作にも長けているという特徴を持つサイコパスは、むしろとても豊かな感情の持ち主だと、私は思う。

言葉の魔術師でもあるので、その豊かな感情を巧みなワードセンスを持って表現するので、人心を掴むのも上手だし、人々の共感を得る表現を繰り出すことが天才的に上手なので熱狂的な支持者を持つことができる。

 

だから、我々、一般の人間は、気を付けないといけない。

 

サイコパスが国の最高権力者にならないように。

 

でも、悲しいかな、サイコパスが最高権力者になることは珍しくないことは、世界中の歴史が教えてくれる。

人心を掴むのが天才的なサイコパスが人民に支持されるのは当然のことのようにも思える。

せめて、国の最高権力者の任期は一桁年数にすることを永久憲法で定めることで、我々庶民は身を守らなくてはならない。

そうなることを切に願います。

 

注意)あくまでも、私が個人的に知っているサイコパスの特徴を持つ人をもとにした、素人サイコパス研究家の見解です。ご参考程度にしていただければ幸いです。

サイコパスの身近にいる、3つのタイプの人達

私が個人的に知っているサイコパスの至近距離に必ずいるのは、下記の3タイプです。

 

従順な人

 

善良な人

 

サイコパス

 

従順な人と、善良な人は同一人物である場合も少なくありません。

 

サイコパスは、自分の私利私欲を満たすため、自分の手となり足となってくれる従順な人が大好きです。

なので、サイコパスの近くには必ず、従順な人がいます。

サイコパスが従順な人を自分の近くに確保しておくからです。

 

サイコパスは言葉の魔術師なので、言葉巧みに心理操作することが得意です。

善良な人は、性善説を信じて生きているような、人を疑う、ということを普段からあまりしないので、サイコパスにとっては非常に都合の良い相手。

サイコパスがこれまたお得意の「嘘」を言っても、そのまま信じてくれるので、好都合。

自分の手足として勤勉に働かせることができます。

 

サイコパスと従順な人、善良な人という関係でよくあるのは、教祖と信者の関係。

新興宗教がよく社会問題になりますが、信者の人達は、善良で、まじめな人が多いです。そして、従順です。

ただ一つ彼らに必要なことは「自分の頭で考えること」です。

自分の頭で考えることが苦手な人、

自信がなかったり、怖がりで、自分が選ぶ選択に責任を持つのが怖い人、

不安を感じやすく、単純明快に不安を取り除いてくれる人を求める人

は、サイコパスの餌食になりやすいです。

 

誰かが決めたルール(教団内のルール)に従って生きていけばいい、というのはとってもラクです。

自分で都度考えなくて良いのですから。

でも、「自分の頭で考えること」を放棄したら、自分を悪い人にのっとられることを受け入れたのと同じことだと思った方が良いです。

イメージとしては、ハリーポッター1に出てきたクィレル先生がヴォルデモートにのっとられていた状態みたいな感じ。

 

サイコパスは、他人の時間を食い物にし、搾取し、自分の私利私欲を満たすことに使うことが得意なので、自分の頭で考えることを放棄する人は大好きです。

誰もそんな奴の餌食になって欲しくないし、サイコパスの手足や支援者になってしまうと、善良な人達が健全な社会を脅かす存在になってしまう恐れすらあります。

それは、とても怖いことです。

 

サイコパスの身近に善良な人がいることは、サイコパスにとって、もう一つメリットがあります。

善良な人が身近にいることで、サイコパスも良い人物とみなしてもらいやすいからです。良いイメージをまとうことができるのです。

仮に、サイコパスの本質をついたエピソードがちらっと出てきくることがあっても、いやいや、あの善良な人と親しい人なんだから、そんな人のワケがない、と世間の人は思ってくれるのです。

 

3つめの、

サイコパスの身近にはサイコパスがいる、

というのは、不思議な感じがするかもしれませんが、私が知っているサイコパスの身近には別の小物サイコパスがいました。

 

小物サイコパスは、大物サイコパスに魅了され、あこがれ、崇拝するようです。

サイコパス同士、同じ仲間ということで、気が合うというか、惹かれあうのかもしれません。

 

注意)あくまでも、私が個人的に知っているサイコパスの特徴を持つ人をもとにした、素人サイコパス研究家の見解です。ご参考程度にしていただければ幸いです。

 

太宰治も?!

はじめまして。

去年からアメブロでブログを書いていましたが、この度、はてなブログさんにお引越ししてきました。

自称、素人のサイコパス研究家!?です。

社会的に成功している(した)サイコパスを見つけるのが私の趣味です。

 

なぜサイコパスに興味を持つようになったかというと、個人的によく知っている人がサイコパスだとある日、気づいてしまったからです。

↓その辺のこと、旧ブログに書いています。

 最近ハマっているお金のかからない趣味 →   世の中で社会的に成功してるサイコパスを見つけること | lovekoshianのブログ (ameblo.jp)

 

はてなブログさんでも引き続き、サイコパス関係の話題が多めになる予定ですが、ストーカー問題、アルコール依存症問題、発達凸凹さん関係も出てくると思います。

さらに、時事ネタ、日常生活のボヤキも。

かなり雑多な内容のブログになる見込みですが、時々お立ちより頂けたら嬉しいです。

 

はてなブログにお引越しして記念すべき?!最初のブログは、、、

あれ、ひょっとして太宰治サイコパス?!という思いがふつふつと沸いてきたので、今日は、そのことについてです。

きっかけは、下記のネット記事です。

 

太宰治が「異様な身勝手さ」で檀一雄を激怒させた…「熱海事件」の凄絶な全貌をご存知ですか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

私が気になった点は、主に以下の4つです。

 

① 言葉の魔術師 ・・・ 太宰はご存知の通り、文才によって成功した人物

 

② 複数のパクリ(盗用)疑惑・・・ 良心、倫理観、道徳観の欠如により、

                  ルールや法律を破ることに抵抗がない

   

③ 不倫を繰り返す・・・ 良心、倫理観、道徳観の欠如により、

             ルールや法律を破ることに抵抗がない

 

④複数の自殺未遂歴・・・ 自殺を試みることで、明らかな自分の非を糾弾する人達

             に、自責の念や罪悪感を抱かせることができ、自分の非に

             対する糾弾をたやすく止める効果があるという目的で

             自殺未遂を行っていたとしたら、自殺未遂を自分にとって

             はメリットがある行為として繰り返していた可能性もあ

             る。非常に心理操作に長けている人物だった可能性があ 

             る。

 

 

ちょっと余談になりますが、サイコパスかどうかをチェックするチェックリストというのがあるそうで。

最も一般的に用いられているのは、ロバート・D・ヘアによって作成されたサイコパシー・チェックリストのようです。↓

興味がある方は、サイコパスっぽい知り合いについて、評価をしてみたら以外な結果になるかもしれません。

 

(チェック項目)

口達者/表面的な魅力
誇大的な自己価値観
刺激を求める/退屈しやすい
病的な虚言
偽り騙す傾向/操作的(人を操る)
良心の呵責・罪悪感の欠如
浅薄な感情
冷淡で共感性の欠如
寄生的生活様式
行動のコントロールができない
放逸な性行動
幼少期の問題行動
現実的・長期的な目標の欠如
衝動的
無責任
自分の行動に対して責任が取れない
数多くの婚姻関係
少年非行
仮釈放の取消
多種多様な犯罪歴

それぞれの項目は、0 ~2点で評定し、成人で30点を超えるとサイコパスとされ、20点未満であるとサイコパスではないとみなされるようです。
なお、子供のサイコパス傾向についての基準はまだあまり確立していないようですが、27点が目安のようです。

 

ちなみに。

私がサイコパスに興味を持つキッカケになった私の知人(私認定のサイコパス)は、このチェックリストだと、27~30点。点数をどうつけるか迷うところがあったので、数値としては幅がありますが、かなりサイコパスである可能性が高いとみています。

ちなみに彼は社会的成功者で、今回気になった4つのポイントでいくと、①②③が当てはまります。

太宰治の気になるエピソード④、複数の自殺未遂歴は、私の知人のサイコパスは無いですが、仮に太宰治の複数の自殺未遂歴が、サイコパスの特徴である心理操作によるところ、と分析した場合、心理操作に長けているという特徴は、バッチリあてはまります。

たとえば、こちらが相手(サイコパス)を疑ってごめんね、と思わせるような、こちらが相手に対して申し訳なく思ってしまうような嘘をつらつらと放つなんてことは日常茶飯事です。

自分が相手より優位に立つ状況を作り出すことに非常に長けています。

 

太宰治の話に戻ります。

エピソード④、複数の自殺未遂歴については、もしもそれが心理操作に長けているがゆえ選択した行動だとしたら、太宰がサイコパスであったという疑いが強くなると思っています。

太宰治は最後は本当に自殺していますが、私は、彼は自殺未遂に失敗した結果、最後は「自殺に至ってしまった」のではないかと推測しています。

 

もし仮に太宰治サイコパスだった場合、

おそらく、太宰治にとって「自殺未遂」という行為には、合理的で、効率の良いことがあったはずです。都合の良いこと、太宰治にとってメリットがあったはずだと考えます。

 

先に書いたように、自殺を試みることで、明らかな自分の非を糾弾する人達に、自責の念や罪悪感を抱かせることができ、自分の非に対する糾弾をたやすく止める効果があると考えたかもしれませんし、

もしくは、太宰にとって、愛人からの思いが重くなり、関係性を終わらせる方法として、自殺未遂を行ったり(自殺未遂をするような関係性だったら、さすがにもうこの関係性を終わらせた方が良い、別れた方が良いと、相手の女性に悟らせるために自殺未遂というポーズをとった)、

ひょとしたら、下手すると、その時点ではすでに終わらせたかった愛人との関係を物理的に終わらせることができる、と考えたのかもしれません。

一番最後の可能性は、かなり冷酷な考え方ですが、仮に太宰治サイコパスだった場合、そういう考え方はあり得ます。

 

サイコパスは著しく自己中心的で、自分にとっては関係ない(と認定した)人間をおもんばかったり、思いやることはありません。

私が個人的に知っているサイコパスを通しての印象ですが、スイッチがあるような感じです。

そのスイッチがオンになる相手には本当に情が深く、きめ細やかで、相手のことを思った心のこもった天才的に情緒に優れた言動、行動ができますが、オフの相手には全くもって冷酷な仕打ちができます。

同じ人物とは思えない、ジキルとハイドのような、二面性があります。

時に、彼にとって以前はオンであった人物も、彼にとってオフの存在になった時、彼のことを同一人物とは思えないでしょう。彼は変わってしまった、と表現するかもしれません。実際は変わっておらず、彼にとってその人がオンになる価値がなくなっただけなのです。

これは私が個人的に知っているサイコパスの場合ですけれど、おそらく他のサイコパスにも共通しているのではないかと思っています。

 

まただいぶ話がそれました。。。

 

いずれにせよ、太宰には、自殺未遂の成功体験が何かしら、あったはずと考えます。

だから複数回した。

 

最後は、自殺未遂に失敗して、本当に自殺になってしまった。

策士策に溺れる、状態になってしまったのだと推測します。

 

私自身、半世紀ほど生きた中で、自死したり、自死を試みようとした人を何人か知っています。

その中で、「本当に、本当に、完全に死ぬことが目的」で「何度も何度も自殺未遂をした」という人はいませんでした。

少なくとも私が知っている人で自死した人は、未遂を繰り返すことなく、自死に至っています。

自死する人は、その目的を確実に遂行するために、表現が正しくないかもしれませんが、ぬかりがない、です。

 

「自殺未遂を(結果的に)繰り返している人」というのは、「死ぬこと」が目標ではなく、「自殺を試みた結果、起こること」を目的にしているように私には思えます。

特定の人間、もしくは周囲の人間に構って欲しくてだったり、自死するのを止めて欲しくてだったり。

はたまた別の目的がある場合もあるでしょう。

 

走れメロスは、さぞそれを書いた作者は立派な良い人間だろうと読者が思うような作品だけど、もし仮に、実際の作者はそれとはむしろ真逆な人物であったとしたら、、、

もし、そうだとしたら、私が個人的に存じ上げている社会的成功者のサイコパスとも共通しています。

支持者(信者と同義語)は、私が個人的に存じ上げているサイコパスを何もかも持っているのに、ピュアで、完全な人間と崇拝している人が多いようですが、実際の彼はそういう人ではありません。

 

素人サイコパス研究家の私としては、太宰が成人になる前までに、良心、倫理観、道徳観の欠如が考えられるえげつないエピソードがあったら、彼もサイコパス認定可能な人物なのではないかと思います。

がぜん、太宰治という人物に興味が出てきました。