ASDのこだわりについて 我が家の最近の事例→「昨日、何時に寝た?」で大号泣
「昨日、何時に寝た?」
これは今年の3月のある日、わが家の不登校中の中2の娘に私が問いかけた言葉。
まさか、この言葉で娘が大号泣することになるとは。
持病をきっかけに中一の2学期から不登校が続き、娘が中二の1年間で登校したのは、わずか数えるほど。後半は全部、保健室登校。
最初は持病が原因だったものの、治療の効果がなかなか出ず、痛みのコントロールがうまくいかず長期欠席が続いたこと、また、コロナ禍ということで、人との交流もはばかられる風潮があった中、休んでいるうちに当然ながらなんとなくお友達とも距離ができてしまい、学校もなじみの場所ではなくなってしまい、痛みがだいたいコントロールできるようになってきた頃には、すっかり学校に行けなくなってしまった、といったところでしょうか。
そうこうしているうちに、起立性調節障害の疑いもありということで検査したところ、起立性調整障害もありということで、朝、起きづらい。
以来、娘の生活リズムは狂いに狂い、ちょうど12時間、普通の人とはズレてしまうことに。
そんな中、3月のある日、昼夜逆転生活をしている娘に、「昨日何時に寝た?」と私が尋ねたところ、娘が大泣きするほどの口喧嘩に発展いたしました。
原因は「昨日」という言葉の認識違い。
娘からすると、日にちが変わってから就寝しているので
「昨日何時に寝た?」
ではなく、
「今日何時に寝た?」
が正しい聞き方という主張のようで。。。
娘が早くて夜中の2時過ぎ、遅くて明け方の6時頃に寝る生活を続けているのは、母親である私も知っているはずなのだから「昨日」というのは違う!というのが娘の主張らしいのだけど。。。
反抗期ということも手伝って、この単純な言葉がきっかけになり、大喧嘩。
こちらはこちらで基本、生活リズムが乱れまくった毎日を、こちらから言わせるとなんの工夫もせず(医師から処方された起立性調節障害の薬も飲むわけでもなく)、続けている娘に腹を立てていることもあり、お互い譲らず。
挙句、怒りにまかせて、
「あんたとは普通の会話ができない!」
などと吠え散らかしてしまいました。。。
娘はASDという診断を受けています。
ASDはこだわりが強いところがあり、そのこだわりの強さは時に「言葉がもつ意味の厳密さ」を追求します。
ゆえに、日常生活でこじれてしまう場面もしばしば。
上記のエピソードは、まさにその一例。
言葉の意味って結構あいまいさがあって、文脈の流れで違ったり、場面を考慮して理解したり、「たとえ」としての表現があったり、受け取り側が意味をチョイスするものだけど、それがASDの娘にはなかなか不得手なところがあります。絶対譲らない頑固さがあり、苦労すること度々。
普通の人だったら、聞き流すような言い間違いの指摘もよくしてくるので、話の骨を折られるし、使う言葉の選び方にも気を遣うので、娘とはスムーズに楽しく会話をするのが難しい。
幼い弟が文を話し始めた頃も、弟の言い間違いを指摘してばかりいたので、間違いを指摘しないで聞き流すよう娘に注意したほどで、相手が幼い子であろうと容赦ない。
いまだに、弟の言い間違いを厳格に指摘しています。
校正の仕事とか、すごく向いてるんじゃないかと思いますが、どうなんだろう。
今回の件、事情を色々と分かっている親である私が譲ってやれば良いのに、と思う方もおられましょう。
でも、でも、です。
常日頃、こちらが何か提案することには、
無理~。
やだ。
ダメ。
違う。
のみごとなまでの否定形4パターンのどれかが返ってくるばかりの反抗期真っ只中のわが娘に寛容になれないこともあるのです。。。
反応があれば、まだましで、都合の悪いことは聞こえないふり、無視なんてこともザラなわけで、まぁまぁ辛抱して生活する毎日。もうこれ以上、我慢ならん!と爆発してしまうことがあるのです。こちらも人間なので。
ひとり親でお金に余裕があるわけではなく、全くの想定外であったものの、本人の希望により、中学受験することになり、自分が行きたいと言っていた私立中学に行くことになったものの、不登校が続き、挙句、12時間真逆の生活すること、はや一年以上。
まぁ、そこは仕方ないとして、もう、公立中学に転校しよう、そしたらママのイライラも減るから、これじゃ行かない学校に寄付してるのと同じ、どうせこのままじゃ、同じ校舎にある高校にもあげてもらえないし、高校に向けてお金を温存しておこう、と私立中学を退学して公立への転校を促すものの、本人はうんとは言わず、ただただ昼夜逆転生活が続く日々。
起きれなかった~、学校やだーって。どういうこと?!言ってることと、やってることが支離滅裂すぎる!というのがこちらとしても腹の底に常にあるので、マグマをいつも抱えているということもあって、噴火してしまうという事情もあったりします。。。
わが子の場合、ASDならではのこだわりを発揮して自分の部屋だけはモデルルームみたいにきれいですが、リビングは散らかし放題。なのに、自分のことを棚にあげて人にダメ出ししてくるので、なかなか共同生活をするのは大変です。
「ママはズボラだから、リビングが散らかってる」
と言われれば、
「ママは仕事でほとんど家に居ないんだから、一日中家にいるあなたが片づけたらいいじゃない。これも、それも、あなたのよ。」
と言い返す。
不登校で一日中家にいるものの家事をするでもなく、勉強をするでもなく、スマホ片手に握りしめ、好きな動画ばかり観て一日を過ごす一方で、他人のことは批判する。どの口で言うのかねと、こちらとしては思うワケです。
理解に苦しむところ、理解するのはナカナカ厳しいので、最近は、できるだけ、そういう人と思うようにしております。
以前は、一本筋が通っていないことを気づかせたい、とか、色々言ったりしていたけど、言葉が刺さらないというか、通り過ぎていくだけだということに気づき。。。
いくら正そうとして、言葉を紡いでも、こっちが消耗してしまうし、こんなに伝えても伝わらないのかと勝手に裏切られたみたいな気持ちになって悲しくなるし、関係性が悪くなるだけなので、言葉でわかってもらおうとすることは以前よりだいぶ少なくなりました。
私自身のイライラも不思議と少し減ったような気がします。
そんな私も、実は発達凸凹さん。
(自分で本読んで、勝手に認定しているだけですが)
だから、分かる部分もある。
だけど、己を知ることで、工夫次第で、もうちょっとなんとかなるのではと。
分かるだけにイライラしてしまうこともある。
自分を含め、発達凸凹さんは「究極の省エネ種族」だなぁと思います。
実際に自分の身に何か不利益なことがふりかからないと、スイッチが入らないし、エンジンもかからない。
基本、なまけもので、自分の興味がないことには全くスイッチが入らない。
でも、興味のあることには逆にスイッチが入りっぱなし、というやっかいさ。
徒競走で全速力で走れ!と言われても、全速力で走れない。
でも、普通の人は、全速力で走りなさい、と先生に言われれば、全速力で走れる。
全力で走っている同級生達を、器用だなぁと、横目で羨ましく見つめていた学生時代。
ライオンにでも追いかけられないと、全速力で走れないよ、という自分。
自分はどこか欠陥がある、素直さがない、ひねくれた人間なんだと結論づけ、納得していた日々。
不器用な人間だと自分のことを思っていたけれど、半世紀ほど生きてみて、私達凸凹さんは、究極の省エネの種族なのだろうと思うようになりました。
ホモ・サピエンス ヒト科ヒト属も、種を存続させるため、いろんな多様性を持たせていろんなタイプを出現させているのだと思うけど、そのうちの一つなのでしょう。
省エネに特化した特性をもった凸凹さん達。
許容範囲が多くの人達より狭く、ストレスに人一倍弱いのも特徴。
そんな凸凹さん達。省エネがゆえに、聞こえが悪いけど、他人に無頓着な人が多い印象を個人的には持っています。
他人がどんなに困ろうとおかまいなし、こだわりを貫き、わが道を行く、みたいなところがある場合も。特にASDの方とか。
そこだけみると、ちょっとサイコパスっぽく聞こえるけど、サイコパスとASDが決定的に違う点があると思うので、それはまた別の機会に。