太宰治も?!
はじめまして。
去年からアメブロでブログを書いていましたが、この度、はてなブログさんにお引越ししてきました。
自称、素人のサイコパス研究家!?です。
社会的に成功している(した)サイコパスを見つけるのが私の趣味です。
なぜサイコパスに興味を持つようになったかというと、個人的によく知っている人がサイコパスだとある日、気づいてしまったからです。
↓その辺のこと、旧ブログに書いています。
最近ハマっているお金のかからない趣味 → 世の中で社会的に成功してるサイコパスを見つけること | lovekoshianのブログ (ameblo.jp)
はてなブログさんでも引き続き、サイコパス関係の話題が多めになる予定ですが、ストーカー問題、アルコール依存症問題、発達凸凹さん関係も出てくると思います。
さらに、時事ネタ、日常生活のボヤキも。
かなり雑多な内容のブログになる見込みですが、時々お立ちより頂けたら嬉しいです。
はてなブログにお引越しして記念すべき?!最初のブログは、、、
あれ、ひょっとして太宰治もサイコパス?!という思いがふつふつと沸いてきたので、今日は、そのことについてです。
きっかけは、下記のネット記事です。
太宰治が「異様な身勝手さ」で檀一雄を激怒させた…「熱海事件」の凄絶な全貌をご存知ですか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
私が気になった点は、主に以下の4つです。
① 言葉の魔術師 ・・・ 太宰はご存知の通り、文才によって成功した人物
② 複数のパクリ(盗用)疑惑・・・ 良心、倫理観、道徳観の欠如により、
ルールや法律を破ることに抵抗がない
③ 不倫を繰り返す・・・ 良心、倫理観、道徳観の欠如により、
ルールや法律を破ることに抵抗がない
④複数の自殺未遂歴・・・ 自殺を試みることで、明らかな自分の非を糾弾する人達
に、自責の念や罪悪感を抱かせることができ、自分の非に
対する糾弾をたやすく止める効果があるという目的で
自殺未遂を行っていたとしたら、自殺未遂を自分にとって
はメリットがある行為として繰り返していた可能性もあ
る。非常に心理操作に長けている人物だった可能性があ
る。
ちょっと余談になりますが、サイコパスかどうかをチェックするチェックリストというのがあるそうで。
最も一般的に用いられているのは、ロバート・D・ヘアによって作成されたサイコパシー・チェックリストのようです。↓
興味がある方は、サイコパスっぽい知り合いについて、評価をしてみたら以外な結果になるかもしれません。
(チェック項目)
口達者/表面的な魅力
誇大的な自己価値観
刺激を求める/退屈しやすい
病的な虚言
偽り騙す傾向/操作的(人を操る)
良心の呵責・罪悪感の欠如
浅薄な感情
冷淡で共感性の欠如
寄生的生活様式
行動のコントロールができない
放逸な性行動
幼少期の問題行動
現実的・長期的な目標の欠如
衝動的
無責任
自分の行動に対して責任が取れない
数多くの婚姻関係
少年非行
仮釈放の取消
多種多様な犯罪歴
それぞれの項目は、0 ~2点で評定し、成人で30点を超えるとサイコパスとされ、20点未満であるとサイコパスではないとみなされるようです。
なお、子供のサイコパス傾向についての基準はまだあまり確立していないようですが、27点が目安のようです。
ちなみに。
私がサイコパスに興味を持つキッカケになった私の知人(私認定のサイコパス)は、このチェックリストだと、27~30点。点数をどうつけるか迷うところがあったので、数値としては幅がありますが、かなりサイコパスである可能性が高いとみています。
ちなみに彼は社会的成功者で、今回気になった4つのポイントでいくと、①②③が当てはまります。
太宰治の気になるエピソード④、複数の自殺未遂歴は、私の知人のサイコパスは無いですが、仮に太宰治の複数の自殺未遂歴が、サイコパスの特徴である心理操作によるところ、と分析した場合、心理操作に長けているという特徴は、バッチリあてはまります。
たとえば、こちらが相手(サイコパス)を疑ってごめんね、と思わせるような、こちらが相手に対して申し訳なく思ってしまうような嘘をつらつらと放つなんてことは日常茶飯事です。
自分が相手より優位に立つ状況を作り出すことに非常に長けています。
太宰治の話に戻ります。
エピソード④、複数の自殺未遂歴については、もしもそれが心理操作に長けているがゆえ選択した行動だとしたら、太宰がサイコパスであったという疑いが強くなると思っています。
太宰治は最後は本当に自殺していますが、私は、彼は自殺未遂に失敗した結果、最後は「自殺に至ってしまった」のではないかと推測しています。
おそらく、太宰治にとって「自殺未遂」という行為には、合理的で、効率の良いことがあったはずです。都合の良いこと、太宰治にとってメリットがあったはずだと考えます。
先に書いたように、自殺を試みることで、明らかな自分の非を糾弾する人達に、自責の念や罪悪感を抱かせることができ、自分の非に対する糾弾をたやすく止める効果があると考えたかもしれませんし、
もしくは、太宰にとって、愛人からの思いが重くなり、関係性を終わらせる方法として、自殺未遂を行ったり(自殺未遂をするような関係性だったら、さすがにもうこの関係性を終わらせた方が良い、別れた方が良いと、相手の女性に悟らせるために自殺未遂というポーズをとった)、
ひょとしたら、下手すると、その時点ではすでに終わらせたかった愛人との関係を物理的に終わらせることができる、と考えたのかもしれません。
一番最後の可能性は、かなり冷酷な考え方ですが、仮に太宰治がサイコパスだった場合、そういう考え方はあり得ます。
サイコパスは著しく自己中心的で、自分にとっては関係ない(と認定した)人間をおもんばかったり、思いやることはありません。
私が個人的に知っているサイコパスを通しての印象ですが、スイッチがあるような感じです。
そのスイッチがオンになる相手には本当に情が深く、きめ細やかで、相手のことを思った心のこもった天才的に情緒に優れた言動、行動ができますが、オフの相手には全くもって冷酷な仕打ちができます。
同じ人物とは思えない、ジキルとハイドのような、二面性があります。
時に、彼にとって以前はオンであった人物も、彼にとってオフの存在になった時、彼のことを同一人物とは思えないでしょう。彼は変わってしまった、と表現するかもしれません。実際は変わっておらず、彼にとってその人がオンになる価値がなくなっただけなのです。
これは私が個人的に知っているサイコパスの場合ですけれど、おそらく他のサイコパスにも共通しているのではないかと思っています。
まただいぶ話がそれました。。。
いずれにせよ、太宰には、自殺未遂の成功体験が何かしら、あったはずと考えます。
だから複数回した。
最後は、自殺未遂に失敗して、本当に自殺になってしまった。
策士策に溺れる、状態になってしまったのだと推測します。
私自身、半世紀ほど生きた中で、自死したり、自死を試みようとした人を何人か知っています。
その中で、「本当に、本当に、完全に死ぬことが目的」で「何度も何度も自殺未遂をした」という人はいませんでした。
少なくとも私が知っている人で自死した人は、未遂を繰り返すことなく、自死に至っています。
自死する人は、その目的を確実に遂行するために、表現が正しくないかもしれませんが、ぬかりがない、です。
「自殺未遂を(結果的に)繰り返している人」というのは、「死ぬこと」が目標ではなく、「自殺を試みた結果、起こること」を目的にしているように私には思えます。
特定の人間、もしくは周囲の人間に構って欲しくてだったり、自死するのを止めて欲しくてだったり。
はたまた別の目的がある場合もあるでしょう。
走れメロスは、さぞそれを書いた作者は立派な良い人間だろうと読者が思うような作品だけど、もし仮に、実際の作者はそれとはむしろ真逆な人物であったとしたら、、、
もし、そうだとしたら、私が個人的に存じ上げている社会的成功者のサイコパスとも共通しています。
支持者(信者と同義語)は、私が個人的に存じ上げているサイコパスを何もかも持っているのに、ピュアで、完全な人間と崇拝している人が多いようですが、実際の彼はそういう人ではありません。
素人サイコパス研究家の私としては、太宰が成人になる前までに、良心、倫理観、道徳観の欠如が考えられるえげつないエピソードがあったら、彼もサイコパス認定可能な人物なのではないかと思います。
がぜん、太宰治という人物に興味が出てきました。